人間の…気持ち…!?

最近Twitterをみていると技術書の執筆者と批判レビューが空中で戦争しているやつをよくみる。

議論している内容自体はいつものTwitterって感じでどうでもいいのだが、この事象はとても興味深いと感じた。

僕が興味深いと感じた点は、「技術書を執筆しリリースをするといった偉業を達成するようなプログラマであっても、自分が作ったものを否定されると自分の存在を否定されたかのような挙動をする」というところだ。

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我々はよくコードレビューで人間の気持ちを省みないレビューをする免罪符としてよく 「否定しているのは書いたやつの人格ではなく、存在するコードを否定している。勘違いしないでほしい」という発言を引っぱってくることがおおい。

これはプログラム職人としては非常に正しい。間違ったコードをmergeして本番環境にデプロイするのは、ラーメン屋が味噌ラーメンのオーダーを受けて醤油ラーメンにとんこつラーメンを混ぜて提供する みたいな話だからだ(これはとても大袈裟な例)

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しかし、技術書の執筆者が攻撃的なレビューと戦争を起こすように、どんなに優れたプログラマーであっても 自分が作った物を否定されたらおおかれ少なかれ傷ついたり悲しんだりする のである。

この事象を観測して僕の中に 「人間にとって自分が作ったものを自己とは完全に分離して感情を処理するのはとても難しいことである」という仮説が生まれた。

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この仮説が正しいのかどうかは今の僕には検証することはできない。

しかし、この仮説が正しいものであるとすれば 「否定しているのは書いたやつの人格ではなく、存在するコードを否定している。勘違いしないでほしい」という免罪符は機能しておらず、否定的なコメントをする時は我々は常に「少なからずその人の人間性を否定している」ことを否応に意識しなければならないのである。

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僕は長いことコードレビューで正しいことを指摘することは正しい行ないので積極的に指摘するべき という考えのもと コードレビューをしていたが、このトピックへの思考を深掘っていく過程にて「自分が作ったものと自己を分離して感情を処理するのが難しい ということまで考慮しながらレビューをしなければならない」 と強く感じた